台風Girl



side Kotoko3


夜勤の後、あたしは私服に着替えると、小児科の病棟へと足を運んだ。

入江くんはどこかな〜。

ナースステーションをのぞく。

いた。
入江くんの白衣姿って、何度見てもいいわ。

「……看護婦さ〜ん、ここに怪しい人がいます」

え、どこ?怪しい人?

きょろきょろと見回すと、なんとあたしの後ろに樋口くんが意地悪そうな笑いを浮かべて立っていた。

「入江さん?!」

ナースステーションから小児科の主任さんが声をかけた。
ナースステーションの奥では、冷めた目で見ている入江くん。

「え、あの、怪しいなんて、そんな。ちょっと入江くんが…その…」

徐々に消え入りそうな声で答えたあたしに、樋口くんは声を出さずにあたしに向かって「バーカ」と言った!

こ、こいつ〜〜。

当初の目的も忘れ、一言言ってやろうと口を開けた。
ところが、ナースステーションから回診のために入江くんが出てきて、すれ違いざまにあたしの頭をカルテで軽くたたいた。

「何やってんだ、邪魔するなよ」
「入江く〜ん♪」
「帰って寝ろよ」

心配してくれてる?!

「すげークマ」

そう言ってニヤッと笑った。

「入江くんの意地悪!」

あたしは目の下を押さえて叫んだ。

樋口くんはこれから回診だというのにもかまわず、病室とは別な方向へと歩いていく。

「あ、ねえ、樋口くん。今から回診じゃないの?」

相変わらずすぐには返事をしない。

「入江くんの回診サボるの〜?」
「うるせえな、ついてくんなよ」
「だって、あたし樋口くんに会いに来たんだもん」
「じゃあ会っただろ、満足?」
「いいじゃない、少しだけあたしに付き合ってよ」
「じゃあ、ここへ」

そういって扉の中へ入っていったので、慌てて中に入ろうとしたら…。

「何よ!トイレじゃない!!」

樋口くんは、わざと男用のトイレに入ったのだ。
中では、樋口くんが大笑いしている。
あたしは仕方なく樋口くんが出てくるのを待って、再び後を追いかけた。

「っだよ、しつこいな。まだついてくる気かよ」
「ねえ、樋口くん、こっち、こっち」

あたしは樋口くんの腕をつかんで無理やり引っ張っていった。

「な…!離せよ」
「ほら、ここ」

あたしは夜とはうって変わって青空を見せてきた外に連れ出した。とはいっても、階段を上って、重い扉を開けないといけなかったけど。

「…屋上かよ」
「ねえ、台風、行っちゃったみたい」

あたしはもう一人を探していた。

「あ、坂下さ〜ん!つれてきたよー」

夜は全く見えなかったんだけど、隅のベンチに坂下さんは座っていた。

「ああ、自殺未遂の女…」

樋口くんの言い草に、少しヒクッと頬を引きつらせて、坂下さんは向き合った。

「ええ、その自殺を未遂に終わらせていただいてありがとうございました」

樋口くんは少し驚いたようだった。

「坂下さん、お礼が言いたかったんだって」
「…あ、そう」

もっと皮肉を言うかなと思ったけど、案外素直にそうつぶやいた。
坂下さんはあまり気にしていないようだ。

「夜の間に過ぎ去ったみたいですね、台風」
「うん、よかった」
「私、昨日からずっと考えて、考えて…。
取り合えず、あの人との婚約は取り消すことにしました」
「取り消すの〜?」
「私、病気のことがなくても、覚悟、なかったんです。
子供のことだとか、いろいろ理由つけてみたけど、結局、自分がどうしたいのか、どうしてあげたいのかさえわからなくて。なんとなく一緒にいてもいいかなってだけだったみたい。
あの人が私といて幸せになれるのなら、絶対離さないんだけど」
「そうかな?だって、子供のこととか、破棄するってことは、婚約者さんのこと大事に思ってるからだよね」

あたしはそう言って坂下さんに微笑み返した。
樋口くんは帰るって言うかと思ったけど、近くに立って遠くを見ている。
まだどこも回診がある時間なのか、他の患者さんは見当たらない。台風が行ってしまったばかりなので、まだ屋上も所々濡れている。

「樋口くんは、中学生?」

不意に坂下さんに話しかけられて、今度は心底驚いたようだ。

「三年」
「受験生だー。受験に悩んで…とかじゃないよね?」
「?」

坂下さんは含み笑いした。

「じ・さ・つ・み・す・い」

樋口くんは一気に顔を赤らめて、言葉を詰まらせた。

「ちがっ…」
「いいの、いいの、わかってるわよ。
あんな時間に、あんな天気の日に、1時間近くも屋上うろついてる人はね〜」

坂下さん少し楽しそう。

「色恋沙汰…でもなさそうよね。まだ中学生じゃね〜」
「あ、あんたなー」
「でも、結構もてるでしょう?顔もまあまあ、筋肉の発達もいいから運動してそう。
あ、頭悪いとか?」
「悪いけど、都内で模試成績トップなんだけど」
「あ、へ〜、頭もいいんだ〜。ちょっといやみなやつよね〜」

えーと、入江くんは更にIQ200なんだけど。
いや、っていうか、本当にからかって楽しそうなんだけど、坂下さん。

「ねえ、私、今日は生まれ変わった気分なの。こんなに天気もよくて。
手術受けたら、きっとまた生まれ変わった気分になるね、きっと」

あまりに坂下さんが晴れ晴れとした顔をしたので、きっと婚約破棄の話はやめたんだと思った。

「また、手術が終わったら、ここで会いましょう?天気のいい日に」
「うん、いいかも。樋口くんも来るよね?」

樋口くんの答えはなかったけど、来なかったらあたしが誘っちゃおうかな。

そんなことを考えていたら、坂下さんは大きく背伸びをしてあくびをすると
「私寝不足だからもう一度寝るわ」
と言って戻っていった。

残された樋口くんを見て、あたしは少し冷や汗が出た。

もしかして、また怒ってる?

樋口くんは、少し入江くんに似てる。
高校の頃、あたしが何を言っても「うるさい」とか「関係ないと」か、そう言って怒っていた。
すぐに打ち解けるなんて、ありえないのかもしれない。

ドラマの見すぎかもしれないなぁ。

「今度の手術、無事に終わるように祈ってるね!」
「…祈られても…。
センセーの腕さえよければ無事に終わるんじゃない?」
「そうかなー。どうしてそういうかわいくないことを」

まあ、樋口くんらしいか。

「おい」

後ろから声をかけられて振り向けば、入江くんだった。

「あ、入江く〜ん。今から手術だったよね」
「手術前の患者連れまわすなって言っただろ」
「あ、そうだった」
「回診のときもいないし」
「ご、ごめんなさい」
「手術まであと三日なんだから、風邪ひかせるなよ」
「は〜い。ね、入江くんも手術立ち会うんでしょう?」
「そりゃ主治医だから」
「うん。今更だけど、がんばってね。あ、今日も、ね!」
「ああ」

入江くんは何か言いたげだったけど、そのまま戻っていった。
樋口くんはチラッと入江くんを見て言った。

「小児科の看護婦のうるせーこと」
「へ?」
「あんた、がんばらないと、センセーとられるぜ」
「なっ…、とられないわよっ」
「へー、そう。すごい自信。
さぞかしすばらしい夫婦愛があるんだろうねー」
「す、すばらしい?」

えーと、夫婦愛…夫婦愛…。
うそっ、すぐに思いつかないってどういうことよ。
え、ちょっと待ってよ。

「看護計画手伝ってくれたりとか…?」

えーと、うーんと。

「料理下手でも食べてくれることとか…?」
「うわっ、最悪」

最悪?!
最悪って、どういうことよ。
最悪なの?

「まー、その程度だろうねー」

ニヤニヤ笑って、樋口くんは屋上から出て行く。
一人残されたあたしは、思いっきり夫婦愛について考え込む羽目になった。


その夜、帰ってきた入江くんを捕まえて、夫婦愛について聞いてみた。

「なに、それ」

お風呂上りの入江くんは、髪を拭きながらも片手で書類を手にしている。
当然書類から目を離すことはない。
お義母さんは、いつもの調子で
「そうよね、お兄ちゃんはもっと夫婦愛を示すべきよっ」
と言ってくれたけど。

「何それって、だって…」

ちょっとだけ半べそ。
入江くんは少しため息をついた。

「また、誰に言われたんだ」
「それは、あの…」
「中学生に言われたことまでいちいち気にするな」

何で知ってるの!

あたしは図星を指されて一人うろたえる。

「樋口くんは、そう難しい手術じゃない」
「うん」
「今の病状も激しい運動をしなければ、心臓発作や息苦しさを起こすほどのものじゃない。
だけど、過呼吸を起こすほどの心の問題のほうが重要だ」
「…うん。最後の試合でなんかあったみたい」
「ああ、確かサッカー部だったはずだ」
「出られなかったのかな?」
「さあ。サッカーの試合で走れば確実に苦しくなるとは思うけど」
「やりたいこと、やっと見つけたみたいだったの。残念だったろうなぁ」
「ふ〜ん」
「あ、ねえ、昔の入江くんみたいなの。なんだか、似てるんだよ。すぐに怒って、頭よくて…」
「怒らせるやつがいたからな」
「あ、だって、入江くん、本当にすぐ怒ってたもん」

入江くんは書類を机の上に置くと、あたしを振り返った。

「…で?そろそろ夫婦愛ってのを示そうか?」

入江くんはにんまり笑うと、あたしを抱きしめてやさしくキスをした。
あたしはやっと入江くんの言ってる意味に気づいて、一気に赤くなった。
…その晩、あたしは入江くんの夫婦愛とやらをたっぷり教えてもらった…。

To be continued.