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「入江先生」
直樹が外来を出たところで呼び止められた。
立ち止まると、あまりお目にかからない消化器内科の医師だった。
「昨日は大変お世話になりました、救急に運んでいただいた患者の主治医、伊東です」
「…ああ、いえ、運んだだけですから」
「あんなところで倒れていたら、気づかずに長時間放置もあり得ましたから運がいいです」
「その後の様子はどうですか」
「一時的に意識を失っただけのようです。その際に少し頭を打ったようなので念のため救急には一晩いていただきましたが」
「そうですか」
「いずれあの患者の手術をお願いしようかと思っていたところでした」
救急でカルテを確認したところでは、糖尿病に加えて十二指腸潰瘍となっていたが、倒れた理由はどちらとも関係がないようだった。とは言うものの、詳細はわからない。
「その件につきましては、いずれ消化器外科に依頼いたしますので」
「わかりました」
それだけで伊藤医師は先に行ってしまったので、直樹は改めて依頼が来てから考えることにした。
病棟へ行くと、視界の隅で琴子が患者と楽しそうに話している。
いろいろ失敗もするが、患者と向き合う琴子の姿勢は好ましく映る。
だからこそ患者たちは琴子の失敗にもある程度我慢してくれるのだろう。
もしこのやり取りがAIに代わるとしたら、失敗はないかもしれないが、やや味気のないものになるのは仕方がないのだろうか。
患者にしたら、失敗はない方がいい。それは当たり前のことだ。
もしかしたら、AIも学習能力が追い付いて、人間と同じようなやり取りができる未来があるならば、生身の人間にとって代わることもあるのだろうか。
診断も手術も何もかもAIが行う未来。
それは近い未来で実現可能なのかもしれないが、患者はどちらを選ぶだろうか。
* * *
琴子は外来へ患者を迎えに来ていた。
車いすで待っているはずの患者をきょろきょろと見回して探すと、廊下にひっそりと待っている患者を見つけた。
「柊さん!お迎えに来ましたよ」
「琴子ちゃん、ありがとう。でも、お迎えに来たって言葉、病院じゃ難しい言葉だね」
「あ、そうですね、ついうっかり」
「まあ、仕方ないか」
「すみません。では、柊さん、病棟へ帰りましょう」
「そうだな。それがいい」
二人して笑いあうと琴子が車いすを押して動き出した。
エレベータの前まで来た途端、急に車いすが動かなくなった。
「え、ちょ、どうしてっ」
えいやっと押すも、車軸が壊れたのかガタガタとするだけで車輪が回らない。
「整備不良でしょ、これ!」
怒りに任せてグイっと押したら、なんとタイヤがぐにゃりとして…。
「うわあ」
「ひ、柊さん!」
とっさにしゃがんで患者の柊を抱きかかえたものの、車いすは既に後ろに転がり使い物にならない。
琴子より重い患者を抱きかかえながら身動きもできない。
「だ…誰か…た…助けてください…!」
エレベータ前にもかかわらず待っている医療関係者はいない。
おまけにその場にいるのは点滴をぶら下げたとても頼れない患者だけだ。
「助けてくださーい!」
仕方なく大声を出す。
「看護師さんを助けてくださーい!」
身動きできない患者の柊までもが声を出して助けを呼んだ。
「だ、誰かー!」
点滴台をガラガラと引きずって、その場にいた患者が助けを求めた。
「たーすーけーてー!」
声が揃ったところでエレベータが到着して扉が開いた。
そこに降り立ったの残念ながら患者だった。
「え?え?ええっ!」
エレベータから降り立ったものの、目の前の光景に戸惑いを隠せない一見元気そうな患者。
そろそろいい加減助けが来てもよさそうなものだが、本当に誰もいないのか。
時間は既に午後となっており、外来も終了していて病院内は閑散としている。
仕方ない、もう一度呼ぶしかあるまい、とその場にいた全員の心が一致した。
「たーすーけーてー!」
再度叫んだところでバタバタと足音が聞こえた。
「どーしました!?」
ようやく一人の看護師がやってきたのだ。
そこにいた琴子、患者の柊、点滴をぶら下げた患者、エレベータから下りて居合わせた患者が半泣きでその看護師を見たのも仕方がないことだろう。
慌てて新しい車いすを用意し、琴子と二人で患者の柊を車いすの上に戻したのだった。
余談だが、この車いすに関して言えば整備不良でも何でもなく、ちょっとした患者の柊のミスだったのだが、それはまた別の話としよう。
そして琴子はつくづく思った。
こういう送迎も自動で検査室や病棟まで送ってくれたならとか、緊急時に医療者を呼ぶボタンがあったらとか、一人の力でも持ち上げられるかさばらないパワースーツがあったらとか、AI化が進むこの世の中、まだまだアナログな斗南病院では無理な話だと琴子は諦めたのだった。
* * *
「聞いたよ〜、琴子ちゃん」
何故かうきうきとした様子でナースステーションに入ってきたのは、医師の西垣だった。
「何をですか」
「大変だったんだって?」
「それを聞いてどうするんですか」
「うわ、思ったより機嫌悪いな」
それも琴子が色々とあちこちに迷惑をかけたからと、お詫び行脚をようやく終えたところだったのだ。
決して琴子だけが悪いわけではなかったが、冷静に行動するれば自分で対処も可能だったはずだと反省を促されているところだ。
「今斗南にAIがあれば…!」
「AI…?」
「そうよ。叫びに対して即座に反応して、やってくるロボットとか」
「それAIなのかな」
「自動運転で動く車いすとか」
「…あ〜、まあ」
「ナースコールに返答するAIとか」
「いや、それはちょっとどうかな」
「オムツ替えてくれるとか」
「…AI?」
「自動で採血してくれるとか」
「看護師いらなくなっちゃわない?」
「もう、いちいちケチ付けないでくださいよ」
「琴子ちゃん、絶対AIを何でもできる便利な機械と勘違いしてないかな」
「AIがあれば便利になるんでしょ!?」
「…そうだったかな…?」
そうかもしれないが、それをすべて実現させる資金源はいったいどこから出てくるのか疑問だ。
それにさすがに全てを機械化するのは現実的にまだまだ無理なことだろう。
それはわかっているが、今のこのマンパワー不足を補うにはいずれ開発してほしいところだ。
「まあねぇ、いろいろあったら便利だろうけどねぇ」
「そうですよねぇ」
「無理、だろうねぇ」
「無理、ですかねぇ」
「無理だろう」
「でも入江くんなら作れちゃいそうだけど」
「えー、そりゃ無理だろう」
「だって、なんだか知らないおもちゃもさっさとデザインしてヒットさせたんですよ」
「そのなんだか知らないものって、別に入江が作ったわけじゃないんだろう」
「でも入江くんならなんだか作れそうなんだもの」
「あいつは結構万能だけど、そこはさすがに専門外だろう」
「理工学部でも引く手あまたの将来有望株だったんですよ」
「そう言えば途中で医学部に移ったんだっけ?」
「法学部の後輩の試験も面倒見てましたよ」
「…法学部」
「ピアノも、実はバイオリンも弾けるとか」
「…ほー」
「料理もレシピ見ただけでプロ並みに作れて、見たことはないけど実は服とかも作り方さえ見れば作れるんじゃないかなとか思ってる」
「嫌なやつだな」
「何言ってるんですか。入江くんですよ?何でもできて当たり前じゃないですか」
「何でも、ねぇ」
そんな話をしていたら、背後から地獄のような声が響いてきた。
「くだらねぇこと言ってないでさっさと仕事しろ」
「だって、入江くん、結局何でもできるから〜」
「できるわけないだろっ」
噂の天才様は随分とお怒りだった。
そしてそのとばっちりは当然のごとく…。
「先生、三階西病棟で主任が呼んでましたよ。指示出し、終わってないとか」
「…あ、そうだった。つい琴子ちゃんとしゃべりすぎたよ。僕の代わりに指示出しておいてくれても良かったんだけど」
「何でもできるわけじゃないので」
しれっと大嘘付きやがった。
できるだろ、どうせ僕程度の指示出しくらい…!
やっぱりあいつは気に入らない、と西垣はつくづく思ったのだった。
(2025/04/27)
To be continued.