悪戯奇譚



11


日も暮れてきて、そろそろ電気の明かりがほしいと思い始めた頃だった。
停電は変わらず回復しないのか、琴子は電話をかけようと思った矢先に受話器を持って気がついた。
「電話、通じてないみたい」
「電話線も切れたのか、電話機自体が対応してないかだろ」
「そっか…。じゃあ、どうしよう」
「どうしようもないだろ。それともどこかにあるらしい自家発電装置でも動かしてみるか」
「でもそれ使っちゃったら、夜が困るんだよね」
「どれくらい持つとかは聞いてないからな」
「でも一晩くらいなら何とかなりそう?」
「それよりも何か明かりになるものを用意したほうが早いかもな」
「ろうそくとかあったかな」
「おふくろのことだから、どこかにまとめて置いてあるだろ」
二人してごそごそと棚を捜すと、玄関脇に直樹の言葉通りリュックの中にひとまとめにして入っていた。
「あったよ!最初に使ってたランタンだけど」
そう言ってランタンの明かりを灯した。
「ふふ、なんだか停電も悪くないかも」
「のんきなやつ」
あきれたように直樹がつぶやいた。
本当に呪いだとか祟りだとかもすっかり忘れているようだから、このまま黙っておこうと思っていたが、あろうことか「ねえ、結局のろいなんてなかったね」と琴子から口にした。
「最初からあるなんて言ってたのはおまえだけだ」
「でも、石碑は結局謎のままだし、湖もなんだか謎だし」
琴子はそうやって話しながら急にいろいろ思い出したのか、腕をさすった。
「入江くん、神社で難しい顔してたけど、あの神社に何かあるの?」
「別に。ちょっと珍しいって思っただけだよ」
「どういうところが?」
まつってあるのが聞いたこともないものだったから」
「ふーん」
「どうせわかってないんだろ」
「…うん」
「鬼頭という湖は、そう呼ばれるだけの何かがあったということだよ」
「何かって…何だろう」
「それを聞こうとしたら…」
そのとき、家の裏側でガタンと音がした。
「な、に…?」
既に外は暗くなりつつあり、家の裏側は当然窓もなく見えない。
「…見てくる。おまえはここで待ってろ。懐中電灯貸せ」
「え、でも」
先ほどランタンと一緒に見つけた懐中電灯を琴子から奪うようにして持つと、すぐに玄関から出て行った。
「い、入江く〜ん」
心細さに思わず名前を呼んだが、外に届くはずはない。
「ううっ、一人にしないで〜」
ランタンの明かりがあるので真っ暗ではないが、他に一切明かりがないので、初日の夕食時の雰囲気とは全く異なっていた。
今度はガタン、と二階から音がした。
「ひ、ひ〜〜〜〜〜」
声にならない声を上げてダイニングのテーブルの下にもぐりこむと「あ、いてっ」と今度は声がした。
階段を下りる音が続き「おい、琴子」と声がしたところで、ようやく琴子は顔を上げてテーブルの横に立った足の持ち主を見た。
「あ、そうか、裕樹くんか」
「何言ってんだよ。ママたちは?」
ランタンを持って辺りを照らすが、他に誰もいないことを確認すると「お兄ちゃんは?」と琴子に聞いた。
「い、家の裏で何か音がしたから、入江くんが見に行ったの」
二人で外の様子を見ようと窓を開けてみたが、相変わらず真っ暗でよく見えない。目を凝らしてみると、湖の向こうの森が黒々としており、かろうじて目の前に湖があることがわかる。
「あ、何か光った」
裕樹は湖を注視している。
「光ったって、何が?!」
鳥目の琴子には、何がなんだか全く区別がつかない。
「琴子、お兄ちゃん遅くないか?」
「そういえば…」
「もう一つ懐中電灯ないのか」
「えっと、あったかな…」
「見てくる」
「ええっ、やめたほうが」
「すぐそこ」
「え?」
「光ったところ。誰か来たのかな。お兄ちゃんかも」
「入江くん?」
「琴子はどうせ見えないんだろ」
そう言うと、裕樹は別荘の玄関から足下を確かめるようにして出て行った。
「ま、待ってよ〜〜〜〜〜」
琴子は後を追いかけようとしたが、ランタンから遠ざかるとよく見えず、ランタンを持って歩くと追いかけることができず、結果として琴子はまたもや別荘に取り残されることになった。
「す、すぐ戻ってくるわよね」
自分に言い聞かせるようにして琴子はランタンを抱えてテーブルのそばに座り込んだ。
「もし何かあったら…」
一人でつぶやいていると、再び玄関で足音がした。
「だ、誰?裕樹くん、戻ってきたの?」
玄関が開くと、ぼんやりとした影が浮かび上がった。
「入江くん、もうだめーーーーー」
琴子が頭を抱えてそう叫ぶと、その影の主は「うるえせえな」と琴子の顔を容疑者のごとく照らし出した。
既に涙目状態の琴子の顔が照らし出されると、直樹は大きなため息をついて懐中電灯を切った。
「い、入江く〜〜〜ん」
「何もいなかった」
「ほんとに?」
「既にいなかった」
「どういう意味?」
「何かはいた」
「何かって?」
「何か、動物らしきもの」
「動物なら…」
「安心できるか?クマとかイノシシとか」
「く、くま…」
「クマは違うとしても」
「じゃあ、裕樹くんの言ってた動物かしらね」
「…そんな話もあったな」
「戻ってきたら裕樹くんに教えてあげよう」
「…裕樹が出て行ったのか?」
「うん。湖のほうに光が見えたから、すぐそこまでって」
「すぐそこって、どこだよ」
「わからない。追いかけようと思ったんだけど…鳥目で…」
直樹はちっと舌打ちをすると、懐中電灯をもう一度つかんで玄関から出て行った。
「あ、待って!」
派手にすっ転びながら琴子は玄関先までたどり着いた。
すぐ先に直樹の持つ懐中電灯が淡く揺れているのが見える。
それ以外の明かりは全く見えない。
一体停電はどうなっているのか、連絡もない。
「ゆ、裕樹くーーーん!」
玄関から大きな声で呼んでみたが、真っ暗な湖に響くだけで他には何も聞こえない。
微かに歩き回っている直樹の足音が聞こえるだけで、やがてそれすらも聞こえなくなり、懐中電灯の小さな明かりだけが直樹の存在を示していた。
夜風が琴子の汗ばんだ体をひんやりと冷ましていく。
風に乗って「キーキー」と鳴く何かの声がこだましていた。
草と水の匂いが琴子の鼻を通り過ぎるときに、微かに獣臭い匂いもした。
裕樹がどこを目指して出て行ったのか見定めようとしたが、暗さに目が慣れても鳥目の琴子には全く見えずに苛立ちだけが募った。
裕樹一人で行かせたことを後悔していた。
「どうしよう、湖に落ちちゃったりしてたら」
これだけ暗いのだから、つい光の見えた方向に寄ろうとして誤って落ちてしまうことだってあるかもしれない。
琴子は不安なまま玄関に立ち尽くしていた。

(2011/08/23)



To be continued.