12
懐中電灯を片手に玄関から出ると、辺りはすっかり真っ暗だった。
直樹は少しだけ湖を眺めてから耳を澄ませ、家の裏に向かって歩いていった。
こんな山奥では窃盗などの犯罪の類よりも動物のほうがむしろ警戒すべきだと思っていたので、わざと足音を立てて歩いていった。
これと言って家の周りに変わりはなく、家の裏に回ったときに気づいたことと言えば、積んであった外装に使った残りのものらしい板やレンガが少し崩れていたことか。
一緒に置いてある薪割りの道具は丁寧に梱包されていた。怪我をしないように配慮されている。
家の真裏にに当たる場所には扉があり、そこだけが構造上少し飛び出ている。
直樹は家の風呂場や洗面所の脇に当たることを考えると、どうやらここは燃料や電気システムの配線や水道の配管、もしかしたら自家発電装置もあるのかもしれないと考えた。
多分この別荘の内側からも入れるのだろうが、直樹は別荘の中全てを確認していないので扉が開いているのかどうかも知らない。
おまけにこの倉庫を外側から開けようとして、しっかり鍵が閉まっていることに気がついた。
鍵のありかは多分母である紀子しか知らないだろうと思われる。
仕方なく諦めて、家の中から開ける方法を考えてみるかと、再び家の裏をゆっくりと歩き出した。
少し行くと何か柔らかいものを踏んだ気がして、懐中電灯で足下を照らした。
そこには何か果物の皮のようなものが散らばっており、明らかに何か動物がここにいたことを示している。動物の足跡ははっきりしないが、犬や猫のような類ではない。
夜行性の動物はいくらでもいるし、すぐ裏は山が広がっていることを考えると、野性動物がここまで降りてきても不思議はないと思い、直樹は足早に家の裏から立ち去ることにした。
家の裏を抜け、再び湖のほうを見てみた。
湖は暗く静かで、時折打ち寄せるように波が見える。
さわさわと聞こえる草の音に耳を澄ませば、自宅とはまた違った静けさが感じられる。
夏の盛りだというのに夜の涼しさは比べようもない。
不便だが、ひと夏を過ごすくらいなら申し分のない別荘だった。
自分の持っている懐中電灯があまりにも異質のように感じられ、直樹は庭を横切り、琴子が待っている別荘の中へと戻ることにした。
多分琴子は置いていかれて涙目になっているだろうと思うと、意地悪く微笑むのだった。
* * *
誰かに起こされたわけではなかったが、少し汗ばんだ身体を伸ばしてベッドから起き上がった。
外はすっかり暮れていて、電気のない夜はほとんど暗闇だった。
先ほどまで雨が降っていたせいか雲も多く、月の光すらも淡い。
裕樹は慎重にベッドから降りたつもりだったが、ベッドの脇に立ち上がって歩き出す際に無造作に置いてあった鞄を蹴飛ばし、ついでにドアにもぶつかった。
まだ目が暗闇に慣れず、部屋のドアを手探りで開けると、ゆっくりと階段を下りていった。
ダイニングテーブルの上だけ明るく、ランタンが置いてあるようだった。
本人は見えていないらしいが、そのテーブルの下で怯えているのはどうやら琴子のようだと気付いたとき、そばまで歩いていくと「おい、琴子」と声をかけた。
「あ、そうか、裕樹くんか」と初めて気付いたように琴子は言った。
ランタンの明かりで見た限りは兄の直樹はおらず、家の裏を見に出て行ったということなので、仕方なく琴子と一緒に待ってみたが、一向に直樹がかえってくる様子はない。
あの兄に限って何かあるはずはないだろうと思いつつ、石碑の件でも珍しく不用意に触ったということを思い出すと、にわかに心配になってきた。
今回の別荘での出来事は、何か腑に落ちない不可解なことばかりだったが、直樹の様子がこれまでと違って見えたのは確かだった。それがここと指摘できるような変化なら口に出して言ってみるのだが、裕樹の感覚で何か違うとは感じつつもはっきり言葉にできない何か、としか言いようがなかったのだった。
窓から湖をじっと見ていたら、湖のそばで何かが光ったように見えた。
琴子にもそう言ってみたが、鳥目であるらしい琴子には何も見えないのか、光の所在を示した指の先すらも危うかったようだ。
もしかしたらその光は家族が乗った車のライトかもしれないし、懐中電灯で照らす直樹の姿かもしれないと思い、裕樹は確かめに別荘から外をのぞきに行くことにした。
もちろんすぐに戻るつもりだったし、当然この暗い中をあれこれ歩き回るつもりもなかった。
ランタンから目をそらしている間に目が暗さに慣れたのか、外に出てもさほど真っ暗とは感じなかった。
もちろん明かりがないので暗いのは間違いないのだが、とりあえず湖と岸辺の違いくらいはわかるし、道路と家の庭部分の違いもわかるくらいの視界はあった。
裕樹は道路のほうへ向かって歩いていき、坂の上から車が見えないかと見てみたが、それらしき光も車の音も聞こえなかった。
先ほど直樹が家の裏で音がしたので出て行ったことを思い出し、裕樹は家の裏側へ回ってみることにした。
この別荘は冬でも使えるように家の横に薪が積んであり、使わない今はシートで覆われている。
別荘に来た日に家の周囲を探検していたのでおよその構造と地形はわかっていたが、その覆われていたはずのシートが少しだけめくれているのを見つけた。
家の裏側には何かをしまっておく倉庫のような扉があるのも知っていた。
直樹はそこまで見たのだろうかと思いながらシートをめくった。
薪の一部が取り除かれ、何か小さな空間があるように思えた。
それでも暗くて奥までは見えず、そこは後で直樹と見に来ることにして、更に裏側に行くことにした。もしかしたら直樹と会うかもしれないと期待していたが、裕樹の位置からは何の音も聞こえなかった。
少しだけ耳を澄ませてからあきらめてまた歩き出した。
ちょうど家の裏側にさしかかったとき、家の裏側にある扉がわずかに開いているのがわかった。
どうしようかとしばらく考えた後、ゆっくりと歩いてその扉をもっと開けてみることにした。
ついこの間は鍵がかかっていて場所だった。
それなのに、今はどうして開いているのだろうと思ったそのとき、裕樹は突然現れた人影に動くこともできなかった。
「むがっ」
口をふさがれて、そのまま身体を押さえ込まれた。
扉は静かに閉まっていった。
* * *
直樹が別荘に戻ると、琴子は怯えた様子で「入江くん、もうだめーーーーー」と叫んだ。
何がダメなんだと呆れたながら「うるせえな」と琴子の顔を照らした。
テーブルの上に置いてあったはずのランタンは隅に転がっており、頭を抱えて涙目の琴子の顔が見えた。しかもテーブルの下に潜っている。
案の定の姿で直樹はおかしく思いながらため息をついて懐中電灯を切った。
裕樹はまだ寝ているのかと思っていたが、琴子の話から外へ出て行ったことがわかった。
琴子に責任はないが、思わず責めるように舌打ちをすると、テーブルに置いたばかりの懐中電灯をまた引っつかんで玄関へ向かった。
「あ、待って!」
背後から琴子の声が聞こえたが、構わず外へ出て行くと、ドアを閉める前にどてっと派手な音が聞こえた。鳥目の琴子が転んだのに間違いないだろうが、それくらいでは怪我はしないだろうとそのまま放っておくことにした。付いてきても邪魔なだけだと思ったからだ。
明かりが見えたので外へ出たということだから、車の明かりか、もしくは誰かの持つ照明の類だろうと思われた。
ただし湖の向こうを回るようにして沿っている道を車が通れば、同じように光が見えるだろうが、それが別荘の近くを通っているとは限らない。
遮るものさえなければ光はかなりの距離を通すので、遠くの光をすぐ近くだと勘違いしてもおかしくはない。
それに、もし本当に誰かがこの別荘に近づいているのであれば、それは管理事務所の人間か家族の誰かであってほしいと願っていた。
別荘なので金目のものはないが、父である重樹は世間的には会社社長であり、知らない人間からみれば金銭的に余裕のあるように見えるだろう。
実際別荘を買えるのだからあながち間違った発想ではない。
直樹は別荘への道を降りて確かめた。
新しい轍はない。車の轍は管理事務所の刑部の車のものと思われた。
複数の足跡も見えるが、これは昼間に直樹たちが歩いた跡だろう。
裕樹の足跡を探したが、暗くてよくわからない。
湖に続く道沿いを捜してみることにした。
裕樹は懐中電灯も何も持っていないはずなので、明かりは直樹の持っている懐中電灯だけだった。
それでも裕樹がこの明かりを見れば直樹がいることに気がつくかもしれない。
「ゆ、裕樹くーーーん!」
玄関から琴子の声が響いてきた。
この静かな環境なら、あのバカ声はよく聞こえるだろうと直樹は思った。
響く声は一つきりで、何の音も聞こえない。
本格的に捜さないとまずいかもしれないと直樹は覚悟し始めた。
停電がいまだ直っていないならば、電話もつながらないことも覚悟しなければならない。
夜道を鳥目の琴子に歩かせるわけにはいかないので、必然的に直樹が歩いていくことになるだろう。
何故両親は帰宅しないのだろうと考えると、直樹は大きなため息をつかざるをえなかった。
(2011/08/27)
To be continued.