悪戯奇譚



13


直樹が難しい顔をして戻ってきたのを暗い中でも琴子は感じ取った。
「入江くん、裕樹くんは…?」
その答えを聞くのが怖かったが、琴子は小さな声で聞いた。
「いない」
琴子をちらりとも見ようとせずにそう答えたのを感じ、琴子は唇をかみしめた。
自分が外へ出て行くのを止めていればよかったのだとうなだれた。
「姿は見えない」
「じゃあ」
「少し遠くへ歩いていったのか、どこかに落ちたりしているのか」
「…え」
「…誰かに連れ去られたか」
自然と身体が震えてくるを感じた。
「つ、連れ去られるって…誰もいないのに?」
「裕樹は光を見たから出て行ったんだろ」
「うん」
「俺はその光を見ていない。その時は家の裏側にいたときかもしれない」
懐中電灯を点けたり消したりしながら、直樹はゆっくりと話す。
琴子の周りがオレンジの光で点滅する。
「裕樹が少し遅れて外に出てきて、そのとき、誰かがもし別荘に近寄っていたりしたら」
「その誰かが?」
「もしくは声を上げる間もなくどこかに落ちたりして怪我をしていたら」
「そんな」
「そう、俺はそういう音は聞いていない。少なくとも家の裏側とはいえ、同じく外にいるのだし、外は思ったより静かだ。何らかの音が聞こえないはずがない」
直樹がカチリと音を立てて懐中電灯を消すと、琴子の周りは再びランタンの白い明かりだけになった。
「裕樹が家の裏側に回ったなら、俺はそのとき家の表側にいただろう。
家の裏側に今のところ危険な場所はない。それは歩いて確認してある。
表側からすぐに庭を横切って家の中に入った。
家の中は外の些細な音は遮断される。冬でも過ごせるようにかなり断熱に力が入ってるから。この類のログハウスにしては防音も効いてる」
「ということは…?」
直樹は答えず、懐中電灯を持ったまま家の中を歩き出した。
琴子は慌ててランタンを抱えて直樹の後ろを歩く。今度こそは後れを取るまい、と。
風呂場のすぐ横、ちょうど階段の下にあたる場所で直樹が立ち止まった。
琴子はそのまま直樹の背にぶつかったが、いつもなら文句を言うはずの直樹が振り向きもせずにそのまま考え込んでいるようだった。
よく見るとそこには頑丈そうな扉がついていて、琴子は直樹がよく見えるようにとランタンをその扉の取っ手に向けた。
「入江くん、この扉がどうしたの?」
狭そうなその階段下に寄り添うようにして立ってみたが、琴子には直樹の考えがよくわからなかった。
直樹は黙ってそのドアの取っ手を握った。
ドアはカタカタと取っ手の音だけを鳴らしたが、開くことはなかった。
そこで直樹が初めて息を大きく吐いた。
「鍵がかかってるみたいだね」
「…開くわけないか」
「ここ、何があるの」
「多分裏に通じてる。鍵をどこかで見てないか」
直樹が振り返った。
狭いこの場所では、自然とのぞきこまれるようになる。上から見下ろされ、暗いせいで視線を合わせようとするとまともに向き合う姿勢になる。
琴子は「え、えーと」と戸惑いながら下を向いた。
その瞬間、ランタンの明かりが消えた。
パニックになった琴子は、目の前にいた直樹にしがみついた。
「な、なんで」
「電池切れだろ」
「で、で、で、電池…?」
持っていたランタンをどうしていいかわからず、そのまま直樹の腕をつかんだまま立ち尽くしていた。
「ここに自家発電があると思うんだが、鍵がない以上開けられないし、電気も点けられない」
「裕樹くんも見つからないし、電気もつかないし、電話もつながらないし、どうしよう」
琴子は言っているうちに涙がにじんできたが、直樹は落ち着き払っているようにも見える。
深呼吸をして何とか気持ちを落ち着けると、直樹に言った。
「まず裕樹くんよね」
「誰か呼んでくるしかない」
「あ、じゃあ、管理事務所に…」
「俺だけで行ってくる。おまえは留守番してろ」
「で、でも…あ」
玄関へと動き出した直樹だったが、琴子につかまれたままの腕を忘れていたのか、琴子がつまずいたのに気がついた。
とりあえず狭い場所で頭を打つ前に抱きとめると、何かの音がした。
「…何か音がしなかったか」
「え?」
「…気のせいか」
琴子は抱きとめられた身体を起こすと、直樹の服の裾を持ったまま直樹の後をついて歩いた。
玄関まで来ると直樹につかんでいた裾を払われ、琴子は見送ることになった。
「玄関の鍵、閉めて待ってろ」
「…うん」
月明かりにぼんやりと直樹の姿を見つめ、琴子は玄関のドアが閉まる音でようやく我に返ったのだった。

家の中にも明かりはなく、琴子は直樹に言われていたものの、玄関のドアを開けて月を眺めるようにして待っていた。
裕樹がいないかと辺りを見回してもみたが、ほとんど暗くて見えずに早々に諦めた。
別荘の玄関前にはテーブルと椅子も置いてあったが、さすがにそこで座って待つ気にはなれず、開け放した玄関に座って膝を抱えていた。
時折虫が飛んできたが、明かりがないせいか大きな蛾などは来ず、ゆっくりと月を眺めることができた。
湖は静かで、脇に茂っている草の音がさわさわと揺れる音がしていた。
鳥目ではっきりとはわからなかったが、月明かりも捨てたものじゃないと琴子は出そうになる涙を一所懸命押さえ込んでいた。
迎えにいったはずの紀子たちはいつになったら帰ってくるのか。
もしかしたらこちらへ向かっている最中なのか。
そんな連絡も届かず、できることなら直樹についていきたかったが、もしも裕樹が帰ってきたり、紀子たちが帰ってきたりすれば事情を話すものがいなくなることを考え、こらえたのだった。
こんな状況で二人がいなければ、余計な心配をさせてしまうだろう。
こんな状況でさえなければ、琴子は直樹と二人っきりであったことも今更ながら楽しめたのに、と思っていた。
膝に頬をつけてあれこれと考えていた。
別荘に来たら直樹と散歩をしたり、湖にボートを浮かべて乗ったり。
いつもとは違った直樹が見られるかもしれない、とか。
それなのに魚も釣れない湖には泳ぐ人もほとんど見当たらず、散歩をすれば不気味な言い伝えを聞いてしまい、停電に行方不明とさすがに琴子の想像の限界を超えていた。

「スケキヨー…」

そうそう、なんだか不気味なおばあさんが…と琴子はうなずいたが、遠くから聞こえる声を聞いて顔を上げた。
「誰か、いる?」
見回してみるが、琴子のいる位置からは見えなかった。
玄関からゆっくりと離れ、琴子は慎重に玄関前の階段を下りると、湖のほうへそろそろと歩いていった。

「ばあさまー」

先ほどよりもはっきり聞こえた声は、聞き覚えがあった。
「遊佐、さん?」
琴子は目を凝らしながら声のするほうに向かって声をかけた。

「遊佐さーん」

琴子の声は静かな湖に響き渡り、はるか向こうから反応があった。
近づいてくる足音が聞こえ、「琴子ちゃん?」と声がした。
琴子は近づいてきた人影が確かに遊佐であるとわかったが、それでも自分からは近づかずにいた。
「ちょっと腰の曲がったおばあさんを見てないかな」
「おばあさん?」
「そう。僕の祖母なんだけど、ちょっとだけ徘徊癖があるんだ」
「こんな夜に?」
「うん、今までも時々あったんだけど、今夜はなかなか見つからなくて。あの人はもちろん地元の人だから大丈夫だとは思うんだけど、年寄りだからね、やっぱり湖に落ちたりしないかと心配になるんだよ」
「裕樹くんも見つからないんです」
「…いない、ってこと?」
「いなくなったんです…。
停電も直らないし、電話もつながらないから入江くんが管理事務所まで人を呼びに行ってるんです」
「そうなのか…。
裕樹君が危ない目にあっていないといいね」
「はい…」
「それから、その、サル、見なかったかな」
琴子は遊佐の言葉に顔を上げた。
「サル…。サル?!」
「うん、飼っていたんだけど」
「み、み、見ました!」
「え、どこで」
「別荘の周りで」
「…やっぱり」
そんな会話を交わしていると、車の音が聞こえてきた。
「おばさんたちかな」
琴子は道路のほうへよろよろと歩きだしたが、足下が悪いにもかかわらずあまり見えていないため、ちょっとした段差にもつまずいている。
遊佐はそれを見て琴子の腕を取ると、持っていた懐中電灯で足下を照らしながら一緒に道路に向かって歩き出した。
道路から入ってきた車は、紀子の乗る車ではなく、4WDの管理事務所の刑部が乗る車だった。
止まった車から降りてきた直樹は、遊佐と遊佐に腕を取られている琴子を見ると、夜目でもそれとわかるほど眉間にしわを寄せていた。
琴子はその理由もわからないまま、駆け寄ろうとした足を止めて息を飲み込むのだった。

(2011/09/02)



To be continued.