悪戯奇譚



14


琴子はかろうじて見えた直樹の表情に怯えて動けないままだった。
遊佐は慌てて琴子の腕を離し、「…そりゃいきなり男と二人で現れたら…怒るよね…」と険しい顔つきの直樹を見て小さくそうつぶやいたが、琴子には聞こえていないようだった。

「こんばんは」
遊佐は降りてきた直樹と刑部の両方に伝わるように声をかけた。
「…遊佐君、もしかしておばあさんを捜しているのかい」
刑部は直樹が声をかけるより早くそう言った。
「…ええ」
「うちの事務所にも君のお父さんらしい人が来てね、湖の向こうで捜していたよ」
「そうですか。見つかったようでしたか?」
「あの様子だとまだのようだね」
直樹は遊佐と刑部の会話を聞いておよその事情は察したようだったが、不用意に外に出た琴子に怒っているようだった。
しかしそれを口に出して怒るわけではない。
ただ黙って睨みつけるようにしている。
「い、入江くん、あのね、裕樹くん、やっぱり見当たらないみたいなの」
「いい。何となくわかったから」
「…どういうこと?」
それには答えず、直樹は刑部とともに別荘の中に入っていった。
琴子もそれに続いて別荘へと戻るが、こちらはやはりつまずきながらかろうじて転ばずにといった具合だった。
遊佐は所在なさげにそのまま立ち止まっていた。

別荘の中に入った直樹と刑部は、真っ直ぐにあの鍵のかかった扉に向かった。
刑部は通り際にキッチン横の配電盤に目を留め、そばにあった椅子を使ってブレーカーを上げると、ぶうんと音を立てて冷蔵庫が動き出した。
直樹がそばのスイッチを入れると、灯が難なく点いた。
突然明るくなった部屋の中で、全員が目を細めて必死に灯に慣れようとしていた。
「点いた…」
単にブレーカーが落ちていただけなのかと思った琴子だったが、刑部は笑って言った。
「いえ、本当に停電していたんですよ、先ほどまで」
「じゃあ、なんで?」
「それはここに隠れている人間に説明してもらおうか」
直樹がそう言うと、刑部は苦笑しながらマスターキーを取り出した。
刑部が扉に手をかける前にかちりと音がして、扉が開いた。
「お兄ちゃん!」
最初に飛び出してきたのは、行方不明だったはずの裕樹だった。
「裕樹くん?!」
琴子はその事実に驚いたが、更に後ろから出てきた人物に更に驚いた。
「ああ、もう、あともうちょっとだったのに」
「おふくろっ」
直樹の怒鳴り声にも負けずに琴子に笑いかけたのは紀子だった。
「あ、の、おばさん、ここにずっと?」
「そうよ。せっかくの暗闇で二人きりなんだから、もうちょっと何とかなるかと思ったのに」
「裕樹くんは、なんでここに」
「物音がしたからちょっと様子を見に外へ出ようと思ったら、裕樹が来ちゃったから」
「そうだよ、ママに口をふさがれてここに一緒に閉じ込められてたんだ」
「もう、お兄ちゃんがここに入ってこようとしたときは鍵がかかってると思ってもどきどきしたわ〜」
琴子は脱力して、ダイニングの椅子に座った。
「よ、よかった〜。あたし、てっきり裕樹くんは知らない人に誘拐されて今頃…」
「いや、奥さん、人が悪いですよ。息子さんたちまで騙して」
刑部は使わなかった鍵をもう一度ポケットにしまうと、ほっとしたように笑って言った。
「あら、ごめんなさいね」
「大方、皆が外に出てる隙にブレーカーをこっそり落としたのもそうなんですね」
「ええ。どうやら停電は直ったみたいね。もうちょっとどきどきしてほしいところだったけど、お兄ちゃんってほんっと可愛げがないったら」
「っとに人騒がせな」
「ねえ、でも、物音って結局なんだったの?」
琴子は思い出したように尋ねた。
「それがねぇ、何か人影みたいなのも見えたんだけど、角を曲がる影だけで、見ようとしたときにはもういなかったのよね」
首をかしげながら紀子が言った。
「それって、遊佐さんが言っていたおばあさんかも」
「おばあさん?」
「はいかいしてて、見つからないんですって」
「そうなの。そういう可能性もあるわねぇ」
「あたし、遊佐さんに知らせてくる」
琴子は遊佐の名前を出した途端に眉間にしわを寄せた直樹に気付かないまま、外へと駆け出していった。

別荘からの明かりが漏れ、別荘の外には薄明かりがあった。
琴子は湖に向かって立っていた遊佐を見つけると、「遊佐さん!」と声をかけた。
遊佐はゆっくりと振り向いたが、一瞬泣きそうな顔をしていたのが気になり、駆け寄ろうとした足を止めた。
ちょっと迷ってからゆっくりと遊佐に近寄り、「裕樹くん、見つかりました」とだけ言った。
「そうなんだ、よかった」
琴子に向き直ってそう言った遊佐は、いつもの静かに笑っている遊佐だった。
「…遊佐さん、何かあったんですか」
「いや、今は何も」
「今は?」
「あ、ごめん、なんでもないよ」
琴子はわざと楽しげに遊佐に話しかけた。
「それが、おばさん…裕樹くんのお母さんがちょっとしたイタズラで倉庫に隠れてて、それを見つけた裕樹くんを一緒に閉じ込めてたんだって。それも停電直ったのに灯りが点かないと思ったら、ブレーカーまで落としていたんですよ〜」
「…そりゃ凄いね」

「遊佐くーん」
別荘のほうから刑部の声がした。

「はい」
遊佐もできうる限り声を張り上げた。

「おばあさん、見つかったって、電話が…」

琴子は満面の笑みで遊佐に言った。
「よかったですね、遊佐さん」
「ごめん、結局迷惑をかけたね」
「ううん、あたし、何にもしてない。いつも役に立たなくて」
「…そんなことないと思うよ。多分、君は…」

「遊佐君、車で送っていくよ」

刑部がそう言いながら別荘から出てくると、遊佐は言いかけの言葉を微笑んだまま飲み込んだ。
「いいんですか」
「もう遅いから、遠慮しないで」
「ありがとうございます。それでは」
遊佐は琴子に「またね、琴子ちゃん」とだけ言って刑部の後をついて車に乗り込んでいった。
別荘の前にたたずんだまま、琴子は遊佐のことを考えていた。
湖から吹く風が琴子の髪を舞い上がらせるのを手で押さえながら。

(2011/09/04)



To be continued.