4
日も暮れかかり、琴子は紀子とともに夕食の用意をすることにした。
今日は別荘での初のお泊りということで、大皿にたくさんのオードブルが並んだ。
もちろんある材料と道具の限界で全てが手作りなわけではなかったが、紀子としては概ね満足のできる料理が並んだと思っている。
シャンパンも用意して(もちろん飲むのは入江夫婦のみだったが)、なんとなくパーティっぽくなってきた。
リビングの明かりのほかに窓際にはランタンも用意して、雰囲気を盛り上げている。
しかし、先ほど奇妙な動物の話を聞き、昼間とはいえ妙なことを叫んだ老婆に会った琴子は、そのランタンの明かりさえなんとなく寒々しさを感じていた。
窓は網戸にされており、虫が入ってくることはないが、外の音はよく聞こえる。
クーラーがいるほどの暑さは感じられないが、涼しいというほどでもない。
楽しげにオードブルを食べ始めた琴子の耳に妙な音が聞こえたのは、ほんの微かだった。
少しばかりびくびくとしていた琴子にとってははっきりと聞こえた気がしたが、食事に夢中になっている皆には聞こえていないようだった。
何かが跳ねるような水音がしたが、昼間に魚が跳ねていたことを考えればおかしくはないだろうと自分に言い聞かせた。
さりげなく窓の外に目を向けた。
湖は真っ暗で、何の明かりも見えない。
夜釣りに向かうボートすら見当たらなかった。
ぼんやりと灯るランタンは、外の景色が見えるほど明るくはない。
琴子は窓から目をそらし、食事に集中することにした。
裕樹は昼間に自分が見た動物について考えていた。
とことんまで調べてみたかったが、自宅ではないので動物図鑑の類は持ってきていなかった。
それは後で調べるとしても、その動物に関して直樹が何も口にしなかったことが不安だった。
本当にそういう動物はいないのかもしれないと裕樹は思い始めていた。
琴子に対して豪語したものの、その動物だと思われる写真を収めるか何かしないと、バカだと思っている琴子に反撃されるのは悔しかった。
直樹が口にしないのは、何か恐ろしい動物なのか、居もしない動物を裕樹が口にしたことをかばってくれているのか、裕樹には判然としなかった。
そして、もう一つ、直樹が触ったという記念碑も気になっていた。
明日の朝、直樹と琴子のように散歩がてらその石碑を見てこようと決めた。
もしもそれが本当に呪われそうなものだったらどうしたらいいのか。
まさか呪いなんてものがあるはずないと直樹は言っていたが、裕樹にはまだ知らないことが多すぎて、直樹のようにないと断言できるだけの根拠を持ち合わせてはいなかった。
直樹を信じていないわけではなかったが、自分の目で確かめてみるまでは安心できないのだった。
そう、もしかしたら直樹が裕樹を安心させるためにないと言ったのかもしれない、とも考え始めていた。
全ては明日。
動物を見つけ、石碑を確認すること。
裕樹はそう予定を立てると、別荘での生活を楽しむことにした。
直樹は、先ほどから琴子が外をちらちらと見ているのを知っていた。
昼間にあった出来事が尾を引いているのだろうと予想はできたが、時々とんでもない妄想をすることも知っていたので、あえてからかうこともせずに黙っていた。
わざわざ自分から話題を提供したり不安を取り除くような言葉を吐く意味はないと思っていた。
それでも、昼間に会った老婆と青年のことは少しだけ気になっていた。
別荘の前にある湖を取り囲んで、いくつかの集落がある。
村なのか町なのかそこまで知っているわけではなかったが、少なくとも別荘がある以上生活するための基盤が近くにはあるということだ。
別荘を上がってきた道は少なくとも集落のうちの一つから続いていたし、別荘地の下には管理事務所があることから、離れてはいようとそこらには普通に住んでいる住人がいるということだろう。
老婆と青年は、祖母と孫であろうか。
年齢的にはそれが一番正解に近いだろうと思われた。
もちろん「ばあさま」と呼んでいるからと言って、必ずしも血の繋がりがあるとは言えないが、少なくとも顔見知りから親しい関係であるとは言えそうだ。
青年の容姿は琴子からすれば「かっこいい」部類なのだろう。確かに整った容姿だったように思う、と直樹は思い返すが、あまり興味がなかったのでさほど覚えていなかった。
裕樹が直樹の顔をじっと見ていたことにも気がついていた。
琴子が言った呪いだとか、裕樹が見たという動物だとか、裕樹なりに考えることがあるのだろうと思ったが、なんでも言葉を鵜呑みにしないところが裕樹の良いところで、若干厄介なところだった。
直樹がこれ以上考えるなと言えば、多分そういう風に思考を切り替えるだろうが、持ち前の好奇心はなかなか納得しないだろう。その点で言えば、裕樹と琴子は似ているかもしれない。
直樹は人知れず息を吐き、これから始まる別荘生活のあれこれを憂いだ。
紀子と重樹は子どもたちが心配気な顔で食事をしているのに気付いていた。
この別荘を決めたのは紀子だったが、重樹はたまにはのんびりと何もないところで過ごすのもよいだろうと思っていた。
もちろん別荘地であるから、少し離れた場所には同じく別荘がいくつか点在しているのは知っていた。
まだこの地に来たばかりで、周囲の別荘の住人がどんな人物なのか、おぼろげにしか知らなかった。
それでも構わないと思っていた。
購入するに当たって十分な調査は任せていたし、管理事務所に落ち度はない。不動産会社もしっかりしていたし、何より別荘の建物自体にも不満はなかった。
紀子はこの何もない環境で直樹が関心を寄せるものが少ない中、嫌でも琴子に関心が向くのではないだろうかと期待していた。
直樹は女の子に関心がないのではなく、人間そのものに冷めた見方をしていて、今までどんな手紙が来ようと全く見向きもしないのを知っていた。
同居するとは知らずに(もちろん手紙を渡した時点では親が知りあいだとも知らなかったのだから当然だ)琴子が直樹に好意を寄せていたのも驚きだったが、琴子が渡したという手紙の内容を直樹が覚えているというのにも驚いたのだった。
あの何事にも自分の都合でしか物を見ない直樹にしては驚くほどの変化だ。
昨今の女子高生に顔をしかめることもある今、あれほど素直で初心で可愛らしい女の子はいまい、と紀子は思っていた。
それゆえに直樹が嫌がるほどつい先へと期待してしまったのだ。
あの琴子なら、今すぐ嫁でも構わないと思うほど。
この夏、少しでも二人を近づけるため、紀子は力を注ごうと決意して別荘にやってきたのだった。
それぞれの思惑を抱え、別荘の夜は更けていく。
(2011/07/24)
To be continued.