悪戯奇譚




朝から張り切って紀子は四人分の弁当を用意していた。
もちろんそんな豪華な弁当を琴子に持たせるわけがない。
嫌々ながらも結局直樹が持たされて、付いていく羽目になった。
直樹とてまた神社で何かあった場合、後で二人の話に振り回されるのもごめんだという心境だった。
いっそのこと一緒に付いて行き、その場でくだらない話に終止符を打つのが目的だった。
「お兄ちゃん、結局は遊佐さんが気になったのね」
紀子が琴子にこっそりそう言ったが、こっそりの割には声も大きく、うふふふ〜と聞こえる笑い声に反論するのもバカバカしくなり、そのまま仏頂面で黙っていた。
裕樹は直樹も行くことにほっとした様子だったが、行くわけでもない紀子があまりにも張り切っているので、若干引き気味に見守っていた。

「じゃあ、行ってきまーす」

琴子が元気に声をかけてから、三人は別荘を出て行った。
湖に沿って歩いていき、あの石碑のところで待ち合わせとなっているので、黙々と歩く。
時折琴子が「この湖、魚はいるけど全く釣れないんだって」とか、「冬でも凍らないんだって」と聞いた話を披露するが、兄弟は無言で湖を見るだけだった。
「もう、ノリが悪いわね」
そんなふうにつぶやいたが、反論すらない。
やがて石碑が見えるところまで来ると、一人の男が立っているのが見えた。
「あ、多分遊佐さんよ」
直樹も前方を見ると、確かに先日ちらりと見かけた青年のようだった。
遊佐も気付いたようで、こちらを見ながらニコニコしている。
裕樹も青年の顔はなかなかかっこいいと思ったが、それでもこの兄には負けるだろうと思わず直樹を振り仰いだ。
ようやく石碑の前まで来ると、「おはようございます」と遊佐が屈託なく挨拶をした。
「おはようございます、遊佐さん」
琴子はすかさず挨拶をしたが、直樹は無言で頭を下げた。
それでも遊佐はあまり気にしていないようだ。
「それでは行きますか」
あえて自己紹介もせずに遊佐はいきなり歩き出した。
「最初は草むらですが、じきに小道に出るので少しだけ我慢してくださいね」
多分直樹たちよりも年上だろうと思われたが、丁寧に説明した。
言ってるそばからがさがさと草むらを掻き分ける。
前回会ったときもこうやって草むらを掻き分けて出てきたことを直樹は思い出していた。
ほんの数メートル掻き分けて進んだところで、遊佐の言うとおり小道に出た。どちらにしても何度か通っているのか、草が邪魔ではあったが踏み固められて草むらの中にも獣道のように跡がついていた。
多分こうなるだろうと、三人は半そでの上に薄い長袖を羽織ってきていて「準備いいですね」と遊佐が感心していた。
「遊佐さんは大学生か何かで?」
琴子は小道に入ってからそう聞いた。
「ええ。今は夏休みなので。地元の農業大学に」
「そうなんですか〜」
自然と先頭を遊佐が、その少し後ろを琴子が、その後ろを直樹と裕樹が並んで歩いていた。
緩やかな登り道だった小道はやがて砂利道に入る。
これが管理事務所からの道かもしれないと直樹は考えていた。
紀子が言うほど狭くはないが、向きを変えたり車同士がすれ違うのは無理だと言える。
ましてや小回りのきかない入江家の車と紀子の運転では無理というものだろう。
砂利道を音を立てて歩いていくと、微かに車の音がした。
前か後ろか初めは判然としなかったが、そのうち前から一台の4WDの車が走ってくるのが見えた。
四人はぎりぎりまで避けると、車は慎重に脇を通り過ぎていった。
運転手は帽子をかぶっていてよく見えなかったが、管理事務所の自称犬神にも似ていた気がした。一度しか見ていない人物であったので、直樹にも確信はなかった。
少なくともこの先に神社があることは間違いないようだと直樹は安堵した。
もちろんこの遊佐がわざと違う道を案内することも考えられないことではなかったからだ。
直樹自身にも一体何を恐れているのかわからなかったが、用心するに越したことはないと考えていたのだった。

更に砂利道を歩いていったところに神社はあった。
砂利道はそれほど坂でもなく、思ったより楽に着いたことに琴子と裕樹はほっとしていた。
石でできた鳥居は高く、付近は立派な巨木が生えている。
鳥居の内側には更に細かい砂利が敷かれていて、神社らしく整えられている。
これだけ山奥で、もっと鄙びているかと思ったが、予想以上にしっかりとした神社だった。
神社の名前が墨書きで「犬神」となっている。
「どうですか」
遊佐がぼんやりと神社の外装を眺めている三人に言った。
「神主さんはいるんですか」
琴子はそれでほど大きくない社殿を見回して言った。
「さあ、普段はいらっしゃらないと思いますよ。過疎化している地域なので、人手が足りないんです。多分祭りのときだけ詰めるんじゃないのかな。普段は手入れに通うくらいで」
遊佐は首をかしげながら社殿の奥をのぞきこんだ。
直樹は面白くなさそうに灯篭などを見回している。
「でも、せっかくだから、拝んでおこうよ、入江くん」
琴子は嬉々として賽銭箱の前へ行き、何がしかの小銭を入れるとガラガラと古そうな鈴を鳴らしてパンパンと手を叩くとそのまま何か拝んでいる。
直樹は正式な参拝方法も知っていたが、誰がとがめるわけでもない寂れた神社ではどうでもいいだろうと口を出さなかった。
裕樹はそんな琴子に「おまえそもそも参拝の仕方が違う」と文句を付けていたが。
「もう、いいじゃない。神様だって真剣にお願いしたもん勝ちよ」
遊佐はそんな様子を見てまた面白そうに笑う。
「うん、確かにお手水や拝礼の仕方もきっとうちのばあさまなんかはうるさいんだろうけど、鈴を鳴らしたり拍手を打ったりするのは理に適ってるからいいんじゃないかな」
「そっか。あたし、そういうのあまり知らないから」
琴子はそう言って恥ずかしそうに笑う。
直樹はその様子をただ無表情に眺めている。
「鈴を鳴らすのも拍手を打つのもお祓いの意味があるというから」
「入江くんの分もお願いしておいたから大丈夫だよ」
琴子は直樹を振り返ったが、直樹は依然として無表情のまま何も言わない。
無理やりにここまで付いてきてもらったこともあり、琴子は小さくため息をついてあきらめ顔だ。
「そうだ!お弁当持ってきたんです。少し早いけど、食べませんか」
「…かなり早いけど」
裕樹が何も言わない直樹を気にしてつぶやいてみたが、琴子が気にする様子はない。
直樹は紀子に無理やり持たされた弁当の入ったバスケットを社殿の前に置いていたが、琴子は走ってそれを取りにいき、社殿の前で広げ始めた。
「おい、琴子、ここで食べる気か?」
裕樹は辺りを見回してからそう言ったが、琴子は屈託なく「そうよ」と答えた。
確かに広々とした場所はこの境内しかない。
鳥居を一歩出ればそこは鬱蒼とした山道が続くのが見えるだけだ。
かと言って、この神社で食べるのも気が引けるというものだろう。
神社の短い参道とも言うべき場所の辺りだけがぽっかりと青空が見える。
それ以外、社殿の周りも近くまで木が迫っていて、日陰で涼しい分暗さを感じるのだ。
蝉の声が鳴り響き、時折何かの鳥の声がする。
閑散とした神社は静かで落ち着いているし、夏の山歩きで一服するには絶好のロケーションかもしれないが、逆に言えばこれほど人けのない場所はそうそうないだろう。
しかも神社という場所柄、暢気に弁当を広げていいものだろうかと裕樹は気にしたのだ。
石段に座り、弁当を次々広げ、遊佐に向かって「よかったらどうぞ」と誘う。
「えーと、いいんですか、僕まで」
「ええ。ほら入江くん、早く、こっち!」
声をかけても直樹は何かを熱心に読んでいる。
この神社の謂れなのか、由来なのかわからないが、難しい顔をしている。
琴子はしびれを切らして直樹のそばまで行くと、直樹の腕を引っ張った。
琴子に引っ張られるまま石段に腰をかけるが、何かを話すわけでもない。
裕樹は直樹の様子に少しだけ怯えながらも同じように石段に座った。
琴子が他の人間に愛想よくしているのが気に入らないのかとも思ったが、まさかあの兄に限ってと、裕樹は頭を振った。
第一遊佐は多分頭の良い学生で、人当たりも悪くない。
バカは嫌いだと公言する直樹にとって、それほど苦痛となる人間でもないはずだった。
何かを警戒しているのかもしれない、と裕樹も自然と口数が少なくなった。
琴子と遊佐だけが話の弾む中、遊佐は直樹と裕樹を時々当たり障りなく会話に入れるが、二言三言答えるとまた話は途切れてしまう。
それでも持ってきた弁当だけは次々となくなっていき、気がついたときには辺りは真っ暗だった。
「…なんだか暗い…」
琴子が気味悪そうに空を見上げたが、社殿の周りは木に囲まれていて空はよく見えない。
「雨が降るかもしれない」
琴子が弁当を片付けるのを手伝いながら遊佐が言った。
少し思案顔で空をのぞいた後「もう降ってくるかもしれない。この辺は降りだすとあっという間だから」と遊佐は社殿の周りを調べ始めた。
「じゃあ、早く帰らないと」
裕樹が言うことに琴子もうなずいている。
「間に合えばそれもいいけど、一時降るだけの土砂降りかもしれないから、雨宿りできる場所を確認したほうがいいと思う」
「…もう降ってきましたよ」
諦めたように直樹が言った。
直樹の言葉を合図にしたかのように、確認するまでもなく大粒の雨が降り出した。
それはあっという間に木に囲まれた場所すらも地面を黒く変えるほどの土砂降りとなった。
四人は無言で社殿に寄り添うようにして雨宿りすることになったのだった。

(2011/08/17)


To be continued.