学内実習にはいろいろあります。
一番最初に習ったのは環境整備ですね。
いきなり注射の練習をするわけではありません。
シーツ交換や、ベッド上の掃除の仕方です。
実際の現場では実習でやったようなシーツの折り込みかたをしないんですが(ホテルのベッドのような折りかたを想像してもらえれば近いかと)、これが合格しないと病院実習に出させてもらえません。
それから、清拭(入浴の代わりに身体を拭くこと)、排泄(ベッド上でのほうですね)、着替えといった基本的なことです。
学内では学生同士で行います。
排泄だけは…いやでしたねぇ。
あまり詳しく書くとなんなので、これだけは省かせていただきます。
洗髪をしあったり、おなかの毛をそりあったり、注射をしあったり、時には泣いて、時には反発しながら、同じ実習グループの仲間は3年間の間に強い絆が生まれるわけです。
私のいたグループは、皆人間的にも落ち着いた人ばかりで、さほど反発しあったりすることはありませんでした。
頭も優秀な人が多く、私もいろいろ助けてもらいました。
手先も皆器用で、注射実習も割とすんなり進みました。
私の注射の腕前はどうなんでしょう。うまい!とまではいきませんが、さすがに10年もやっているので今は失敗はほとんどありません。
新人の頃は冷や汗をかきながら採血ということもありました。
まあ、新人の失敗を埋める先輩のお陰でたくましくなっていくものです。
でも、漫画「おたんこナース」の似鳥ではありませんが、人の腕を見るとつい血管の品定めをしてしまうのは職業病、でしょうねぇ。
(2004/09/26)
看護学校に入ると、半年ほどで戴帽式があります。
初めて病院実習へ行く前にナースキャップをかぶせてもらう儀式です。
今ではナースキャップをかぶる病院も少なくなってきたので
(実際私が働いている病院はナースキャップがありません)、
今は形式だけかもしれませんが、大切で忘れられない儀式であることは間違いありません。
戴帽式のために覚えたナイチンゲール誓詞はいまだ覚えています。
「我はここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん…(以下略)」というものです。
当日はステージ上に並び、名前を呼ばれて一人ずつキャップをかぶせてもらいます。
そして、ろうそくを持ってナイチンゲール像からろうそくの炎を分けてもらい、ナイチンゲール誓詞を唱和。
このナイチンゲール像、いつも視聴覚室にガラスケースの中に入れられて飾ってありましたが、戴帽式でようやくお役目を果たすわけです。
少々煤けていて、それまでいったい何のためにあるのか不思議だったのですが、ようやく正体判明という感じでした。
式のほうは最後に全員で誓いの言葉を唱和しておしまいになります。
この日ばかりは家族を呼んで感動を分け合います。
見られる機会がありましたら、ぜひ見ていただきたい儀式です。
(2004/09/20)
戴帽式が終わった後から、徐々に病院実習が始まります。
1年生は秋と冬の2回。
2年生の秋からは、試験中以外はずっと実習に明け暮れることになります。
一番多いときで、総勢150名もの実習生が病院にわらわらと出現します。
働いている側にとっては、これほどうっとおしいものはないのですが、それもこれも必要なことだから仕方がありません。
1年生は、緊張のあまり朝の申し送り(患者の状態を次の勤務者に伝える)時に倒れるものまでいる始末。
2年生は、申し送りの最中も悪あがきで仕上がっていない計画書を手直し。
3年生は、すでにあきらめモード。遅刻するものまで出る始末。
そんな朝の風景は、看護師として働き出すと、学生指導者になるかならないかによってまたもや緊張感が違ってきます。
指導者側の話はまた看護師編でお話しましょう。
だいたい計画書というものは、きちんと出来てこそその日の実習をさせてもらえるわけですが、私は完璧に出来たことなどありませんでした(自慢することではないな…)。
睡魔に負けてしまったり、どう書いていいかわからなくなって放ってしまったりというものです。
そして計画書は、その実習場所が終わってもなお、まとめやらを書かなくてはいけません。
看護師の指導がどんなに厳しかろうと、病棟が変われば終わりなのですが、実習記録はそうはいきません。
たいていの学生は、卒業する頃にはすっかり記録嫌いになっているのでした。
(2004/09/28)
私が通っていた学校は、付属病院へ実習に行きました。
そこで働いているスタッフのほとんどは、当然付属の看護学校の卒業生です。上は婦長から、学校の先生と同期の方までいるのです。
そして、その中に、ポツリと、なぜか外部の就職者ばかりが集まってしまった病棟がありました。
案の定、その職場での学生への風当たりのきついこと…。
確かに卒業生が配属になったこともあるのですが、その職場に耐えられなくなって皆やめてしまったり、配置換えになったりしてしまったのでした。
なんとなく、付属の卒業生ばかりでその方々もいやだったことはあるのでしょう。
でも、それを学生に向けられるとは…。
そこでの実習は2週間。
どの学生も目をつけられたら、とことんまで記録のだめだしから、患者さんへの態度の一つ一つまで注意を受けます。
それも学生のためだと言えばそうでしょう。
それでも、その学生がなんら劣っていない場合は、やはりいじめと一緒です。
学校の先生がかばおうと、事態は一向によくならず…。
結局、私が就職した翌年に、あまりの苦情からほぼ半数以上の方が配置換えになりました。
どうやら、患者さんからの苦情も出ていたみたいで(いわく、学生をいじめているだの、看護師の患者への態度が悪いだのと投書があったらしいです)、もっと早くそういう配置換えみたいなのをやっていただきたかったですね。
実習として厳しいのはかまいませんが、どうでもいいことで注意を受けるのは、やはり気持ちのいいもではありませんからね。
ところで投書した人、実はうちの看護師だったんじゃないかともっぱらの噂でした。
(2004/09/30)
付属病院と言うからには、大学、病院とつながっていて、しかも、研究室あり、さまざまな施設も結構あります。
総合病院ですから、ほぼすべての診療科が揃っています。
ちなみに病床数、1500程ありました(ただし、すべては今稼動してないかと…)。
地元の人が読めばどこの病院かわかると言うものですが、まあ、そこはご愛嬌。見逃して自分の頭で想像するだけにしてください。
そんな病院なので、実に広い、のです。
最初に学校に入ると一応病院内見学があります。先生の後をひたすら付いて歩くだけで、病院内の構造はさっぱりわかりません。
せいぜい必死で覚えたのは、図書館と食堂くらいでしょうか。
それが、いざ実習になると、自分たちで実習場所に到着しなければなりません。
戴帽式後の実習だけは、婦長さんが誘導してくれます。
その後は自分たちで移動です。当たり前ですが。
これが結構つらい。慣れるまで病院内迷子もあり、です。
なぜなら実習生は、表のエレベータではなく、裏の非常階段側のエレベータ、もしくは非常階段を使わなければならないからです。
ちなみに非常階段も一病棟に2箇所以上あります。
裏から行くとなると、非常階段の出口がどこになるか覚えていなければなりません。
しかも、建て増しをしているので、つながっている階はばらばらです。
病棟数も多いです。
実習場所も散らばっていますし、病棟だけが実習場所ではありません。リハビリ室、手術室などいろいろ…。
私の実習班は、大ボケをかましました。
実習場所を勘違いし、違う病棟に入っていったり、非常口から出た場所がどこかわからなくなったりという失敗をしたのです。
そうなると必死です。実習開始時間までに実習場所に着かなくてはいけません。
汗だくになりながら移動する羽目になりました。
当然間違えて入った病棟の看護師には笑われる(その噂は回りまわって先生や同級生の耳に入ったり…)、遅れそうになった実習場所からは怒られる。
それでも懲りずに近道を探したりしておりました。
同じように失敗した実習班ともども、そんな失敗を繰り返しながら、病院内のプロになっていくのです。
そして、うろうろして迷っている下級生を誘導できるようになっていくのです。
いろいろ試行錯誤して探し出した裏道は、看護師となったときに移動時間短縮のために役立ってくれました。
ちなみにまともなルートで行くと、一番遠い病棟から一番遠い外来まで、歩いて10分近くかかります…。
そんなとんでもない巨大病院の迷路は、建て直ししない限り健在なのでしょう。
(2004/10/07)
学生時代にバイトした人は多いと思います。
私も忙しい合間にバイトをしました。土日限定病院での見習い看護婦です。
病院とはいっても、付属病院ではありません。個人病院から募集が来るのでそれに応募してみたのです。
代々学生が譲り受けるバイトというのもあって、先輩が実習で忙しくなる頃に下級生にバイトが譲られます。
病院あり、飲食店ありで、たいていは寮から通えて門限に間に合い、夕食がついたり、送迎までついていたりします。
ちなみに送迎はなぜ必要かと申しますと、病院の周りには公共交通機関が存在しません。あるのは駅までをつなぐスクールバスだけです。
ずばり、田舎です。
考えても見てください。広大な敷地を誇る付属病院です。都会にあるわけないのです。
ゆえに、車の免許を持っている人はほとんど車通勤が許されるほどです。
病院の敷地ばかりでなく、駐車場もバカみたいに確保されています。
患者用と同じくらい職員用も多いのです。
そんなわけで、バイトは送迎付きもあったりします。
看護婦のバイトはかなりおいしいです。
普通の飲食店のように食事はつきませんし、責任もある程度かかってきますが、時給は嘘みたいに高かったです。
ちなみに私のバイト先は、時給1000円ありました。
月に3回程度でも2万円はくだりません。
実習が忙しくなるまでお世話になりました。
バイトしたお金で買ったものは、高い医学書です。
参考書など、使う機会の多いものは図書館では間に合わないのです。
医学書は一冊平気で5千円とか、1万円とかしますので…。
飲食店もやりましたが、食事のおいしいところで幸せでした。
(2004/10/18)
看護学校の科目は、どんなものを想像するでしょう。
一年生は基礎学習が主で、看護学総論、医学総論から始まり、内科学、外科学、解剖生理などの専門分野、それから普通に体育や国語、生物化学、哲学、英語、ドイツ語、音楽などもあります。
2年生はほとんど実習に費やされ、3年生になってなぜか寄生虫学、看護法学などもありました。
今ここですべてを列記するにはあまりに多すぎて、書けませんが、3年間で詰め込むにはあまりに過酷でした。
ちなみに卒業試験では細かく分かれた分野をも数えるならば、全部で60科目はあったと思います。
もう、ドイツ語に限っては、アルファベットと少々の単語しか覚えてませんし、音楽にいたっては、オペラ歌手をやっていた先生の影響で、オペラのビデオの鑑賞やミュージカル曲しかやった覚えがありません。
しかし、なんと言っても私の中で強烈な印象を残しているのは寄生虫学です。
ご存知のように、寄生虫とは決して見て楽しいものではありませんので、次々と見せられる実物やスライドの数々は、卒業を控えた私たち学生にとってあまりにもグロテスクだったのです。
手術場をのぞくより強烈でした。
詳しく述べると麺類が食べられなくなること請け合いです。
ちなみに私、結構自分では図太いつもりでしたが、その日の夕食に考えていたきしめん(地方名物の太くて平らな麺)は、しばらく食べられませんでした。
とある寄生虫に、本当にそっくりだったんです…。
興味のある方は、東京目黒に寄生虫博物館がありますので見るのも一興かと…。
(2004/10/02)
看護師になるきっかけに、体の構造に興味があるという話をしましたが、今回はそのお話です。
必須科目の一つである解剖学というのは、体の構造を学ぶための学問です。
つまり、無数にある骨や血管や筋肉や臓器、それぞれを覚えなくてはなりません。
ゆえに、試験は地獄のようです。
機能については生理学で習います。
そんなわけで、看護学校でも3年間のうち一度は必ず解剖学室での実習があります。
医学生が手がけたご遺体の見学です。
正直、誰も倒れる人なぞいませんでした。
ただ、あのきついホルマリンのにおいは、あまりうれしいものではありません。マスクをしていようが容赦なくにおってきます。当然髪にもにおいがつきます。
それでも、献体していただいた貴重な身体を見させて頂くのですから、顔つきは真剣です。
医学生の腕が下手だと、先生が言ったような神経や血管が見つからないこともあります。
やはり医者は器用なほうがいいと思うわけです。
で、私は小さい頃から、どうして血は赤いんだろうとか、どうして怪我をしても皮膚は元に戻るのだろうとか、そんな小難しいことを平気で考えていたような子でした。
誰もそんなこと教えてくれなかったんですが(…当たり前か)。
食べ物はどうしてそのまま出てこないのか、といったようなことは学校の図書館の本で知りました。
借りる本もこれまたマニアック…。
自分に十分な頭脳があったなら、医者になりたかったです(そこまで努力する気も、もちろん頭脳もなかったんですけどね)。
(2004/09/28)
2年生の春休みに研修旅行なるものがありした。
これは、表向き、海外などの医療施設を見学し、日本との違いを勉強するというもの。
裏を返せばただの観光旅行です。
毎年これだけは海外に行くことになっていましたが(本当は国内でもいいんですが)、私たちの年に湾岸戦争から起因するテロ事件が相次ぎ、シンガポールに行こうと言っていた私たちの学年は、旅行会社と先生の「テロが心配」の一言で国内に振り替えになりました。
さて、そうなると行き先を決めるのがまた大変になりました。
国内で行きたいところといえば大方二つに分かれます。
さわやかだけど4月はちと寒げな北海道か、4月でも泳げる南国沖縄か。
決まったところはそのどちらでもなく、激安東京箱根ツアーになりました。
もちろん学生は入学した頃から積み立てをしているので十分資金もありました。
なぜ激安なのかそれにもわけがあります。
看護師と言うのは結構気が強いとお思いの方もいらっしゃるでしょう。
実際学生の頃から、皆気が強くて自己主張の激しい人も多かったです。
白衣の天使になるためには(これはいやみでなく、本当に)、その裏でどれだけ我慢することや厳しさを覚えなければならないかと思うほどです。
前置きが長くなりましたが、つまり、自己主張の激しさのあまり、どこにも決められなかったのです。
そして、どうせお金を使うならぱ〜っと使っちまおうという派と国内の研修旅行に使うなら卒業旅行の海外に使いたい派と分かれたのです。
すったもんだの末、旅行会社の人が出してくれた案が、激安東京箱根ツアーだったのでした。
何せ、海外だったはずがいきなり都合でやめになったのですから、旅行会社の人も必死だったのでしょう。
東京箱根が悪いわけではありません。
ディズニーに行ったり、温泉ありで、悪い旅行ではありませんが、何ゆえ中学修学旅行コース(東海地方の公立中学は概ねこのコースです)をたどらねばならんのかという寂しさを抜かせば、です。
どこにも決められないまま、温泉に行きたい先生方の助言もあり、結局はそれに決まったのでした。
うちの学生のいいところは、軋轢は後に残さない性分で、旅行先が決まってからは皆で楽しく過ごしました。
あ、付け加えておくと、観光旅行だけでなく、研修旅行と言う以上、ちゃんと医療施設も見学いたしました。
(2004/10/13)
今は国家試験もかなり実施日が早くなりましたが、私の頃は3月の第一日曜と決まっておりました。
これですと、4月の終わりにしか試験の合格がわからず不便だったのは確かです。
何せ、4月にはもう就職して、看護助手として働き始めているのですから、それでもし「落ちてました」なんてことになったら…。
そんなわけで、今はもっと早く2月中には試験があり、3月中には発表になっていると思います。
国家試験の頃は、生涯で一番勉強した時期です。
人生の集大成と言っても過言ではありません。これに受からなければすべて無駄なのですから。
もう一つのプレッシャーは、私の行っていた学校は一人も不合格者を出したことがないという伝統ある学校でした。
つまり、初の不合格者となるような歴史に刻まれるものにはなりたくなかったのです。
他の学校の合格率はどんなものか知りませんが、受けた感想としては落ちるほうがどうかしてるという感じもあります。
医師の国家試験合格率に比べれば90%以上を常に上回っている国家試験なので、今まで真面目にやっていれば受かるはずなのです。
これは、決して問題が簡単だとかいうものではなく、そういうものなのです。
それでも、そんなことは知らない試験前の私たちは必死でした。
過去問題集は、5センチ以上ありそうな分厚さ。
先生方はそれを10回以上やれと言いました。
…やれるわけない…というか、そこまでやれるような時間はなかったです。
夏休みからこつこつとやっていた学生ならともかく、試験1ヶ月前になってラストスパートをかけるような学生でしたから…。
先輩たちからのお菓子の差し入れや、先生たちの心温まる差し入れを食しながら、黙々と教室で、図書室で勉強しました。
一日10時間目標でしたが、そこまでやる根性はなかったものの、見事に机にかじりつきだったように思います。
模擬試験の成績が全国での学校順位がベスト5だか10だかに入ったと言っては先生たちが喜び、校内試験で成績が悪いと言っては怒られ、胃は痛くなる、便秘になる、発狂したくなると、それはもう試験3日前までは誰もひどい精神状態だったはずです。
ところがそれで終わらない図太い学生たちは、試験も3日前くらいからはもうどうとでもなれ〜状態で過ごし、そのまま試験に突入。
もうどうとでもなれ〜ですから、試験会場でおろおろしている学生はいませんでした。
ちなみに、絶対受かるというような自信から来るものでもないので、妙にへらへらした薄っぺらい笑みを浮かべて、先生たちのほうが心配のあまり血尿が出たとか出なかったとか…。
私は、案外自分では出来た!と思って問題を解いていたので、試験の最中、少々居眠りこきまして、それを試験官に注意されてびびりました。
もちろん全員無事に合格したので、笑い話に出来ますけどね。
(2004/10/13)